2011年06月28日
父の日に、父を思う。
父の日。
両親、兄夫婦と久しぶりに、父のお気に入りの場所で顔をそろえる。

夕食まで、この庭を眺めながら、ゆっくりと過ごす豊かな時間。
こういった時間も提供される、考え抜かれた「もてなし」の心地よさ。
思えば、10年ほど前に父が引退するまでは、こういった時間は全く無かった。
父と一緒に御飯を食べるということも、月に一度あるか、無いか。
居間でごろんと横になって…そんな父の姿さえ、正直、ほとんど記憶にない。

話も杯もすすませる美味しさ。
鰹の香り良い、湯葉の炊きもの。

よく冷えたぷるぷるの蕨もち。
ここでしかいただけない美味しさのひとつだと思う。
どこに行っても、私のうしろにある父の名前や存在が、重荷でしか無かった頃。
親から離れてはじめて気付く、それに私が「守られていた」こと。
「今、この歳まで、自分の足で立ち、あらゆることをさせていただけた。
なんて有り難いことだと思う。」
昨年、褒章を胸に語った父。
父の生き方、それに「添う」という母の生き方を、はじめて理解できた気がした。

20歳までの毎年、かかさず父が贈ってくれていた誕生日カード。
「誰かの真似をしない。遠くからみても、お前だとわかるくらい、お前らしく生きなさい。」
最後には、いつもその言葉。
確かにいつも、誰かと比べることなく「私」を見てくれていた。
父の日に、父を思い、
「感謝」は、自ら「する」ものだと思っていた。
心に余分なものをもたなくなった時、それは、自然に心におこるものなのだと知る。
沼田智子
両親、兄夫婦と久しぶりに、父のお気に入りの場所で顔をそろえる。

夕食まで、この庭を眺めながら、ゆっくりと過ごす豊かな時間。
こういった時間も提供される、考え抜かれた「もてなし」の心地よさ。
思えば、10年ほど前に父が引退するまでは、こういった時間は全く無かった。
父と一緒に御飯を食べるということも、月に一度あるか、無いか。
居間でごろんと横になって…そんな父の姿さえ、正直、ほとんど記憶にない。

話も杯もすすませる美味しさ。
鰹の香り良い、湯葉の炊きもの。

よく冷えたぷるぷるの蕨もち。
ここでしかいただけない美味しさのひとつだと思う。
どこに行っても、私のうしろにある父の名前や存在が、重荷でしか無かった頃。
親から離れてはじめて気付く、それに私が「守られていた」こと。
「今、この歳まで、自分の足で立ち、あらゆることをさせていただけた。
なんて有り難いことだと思う。」
昨年、褒章を胸に語った父。
父の生き方、それに「添う」という母の生き方を、はじめて理解できた気がした。

20歳までの毎年、かかさず父が贈ってくれていた誕生日カード。
「誰かの真似をしない。遠くからみても、お前だとわかるくらい、お前らしく生きなさい。」
最後には、いつもその言葉。
確かにいつも、誰かと比べることなく「私」を見てくれていた。
父の日に、父を思い、
「感謝」は、自ら「する」ものだと思っていた。
心に余分なものをもたなくなった時、それは、自然に心におこるものなのだと知る。
沼田智子