ハーモニーベルによるストレスと緊張の開放と心身のリラックス

 
RFS研究所  

2011年09月16日

老子

先日、本を読んでいて、すごく腑に落ちた言葉がありました。

静けさという根本の道に帰ることが
わかっていれば、
何人にも寛容になれる。
             老子


凄い。さすがです。老子△

あれ、でも老子って、道徳教以外には一切語らなかったはず。
道徳教も弟子になかば無理強いされて書いたような話しを聞いたことがあります。

だからこそ、道徳教の最初の言葉が、
『語ることのできる「道」は「道」ではない』
という、見方によっては矛盾した言葉で始まる。
深い言葉は、矛盾に見えるものです。

それはともかく、そんなこと言ってたっけ?と思って、原典を探ってみました。

おそらくここだろうと思われるのが・・・

16章
致虚極、守靜篤。萬物竝作、吾以觀復。
夫物芸芸、各歸其根。歸根曰靜、是謂復命。復命曰常、知常曰明。不知常、妄作凶。
知常容。容乃公、公乃王、王乃天、天乃道。道乃久。沒身不殆。

虚を到すこと極まり、静を守ること篤し。万物は並び作(お)こるも、吾は以って復(かえ)るを観る。
夫(そ)れの芸芸たる各々其の根(こん)に復帰す。根に帰るを静と曰い、是を命に復ると謂う。命に複るを常(じょう)と曰い、常を知るを明といい、常を知らざれば、妄作して凶なり。
常を知れば容なり。容は乃(すなわ)ち公なり、公は乃ち王なり、王は乃ち天なり、天は乃ち道なり、道は乃ち久し、身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。


原文は以下を参照させていただきました。

(老荘思想<入門篇>

翻訳もありました。

第十六章
空虚を熟視して、真に静寂を守る。
万物はどれも盛んであるが、私はそれらの無為をみつめる。
ものは絶え間なく動き、休まない。
しかし、それぞれのものは根源にもどってしまう。
根源にもどっていくと静寂になる。
静寂になるということは存在の運命にもどることである。
存在の運命とは実在である。
実存を知ることを開明と呼ぶ。
それを知らないで誤って行えば、災いにであう。
実存はすべてを包みこみ、すべてを包みこめば、自己はなくなる。
自己がないということはすべてが満たされており、
すべてが満たされれば、超越することになる。
超越すれば、「道」に達する。
「道」に達すれば永久に続く。
身体が死んでも、それは終わらない。


老子「道徳経」

私には漢文を読む素養がまったくないもので、
何となく違うような・・・
でもおおざっぱにはなんか合ってるような・・・
でもやっぱり違うような・・・

私が読んだ本は、インド系アメリカ人の医師が著者の本だったので、
おそらく、中国語から英語に翻訳された時点で、意訳されたのか・・・

ま、気にしない、気にしない。
だって、どっちもかっこいいですよね?

同じ本の中で、他にも良い言葉が引用されてました。

ブッダの言葉もおそらく、老子と同じような
状況かもしれませんけど、気にしないで、
味わうことにしましょう。

全宇宙にいる誰もと同じように、
あなたには愛され、愛情を注がれる価値がある。
            ブッダ


ほんとうの自分になることだけを願い、
その努力を全力で行いなさい。
      聖フランソワ・ド・サール


酒井  

Posted by RFS研究所  at 18:22Comments(0)旧ブログ・空飛ぶノノ

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